2006/2/1

PRINCEの『A 1,000 Hugs&Kisses』で妄想文を書く。

タイトルも曲調も、可愛らしい感じなので、

めっちゃ、可愛らしい感じで書いてみた。




以前、とあるブログで、「豚肉抜き餃子」を作ったとあって、

それはどうなのだ?と疑問だったのだが、

食べてみたくなって作ってみた。


キャベツと玉ねぎの甘味が際立って、これはこれで美味しかった。


あっさりしているので、どんどん食べられる。


元々、肉が多めの餃子より、野菜多めの餃子が好き。

前者が好きな人には物足りないかもしれない。



2006/2/3

節分。 今日で、天中殺も抜ける。 


これで、自分の【気】も戻ってくる。

昨年との違いは、少しずつ、感じてはいた。


自分であって、自分ではないような感覚。

「今までの私だったら、違うんだけどな〜」と思うことも多々あった。

けれども、そのお陰で、自分の中の違う一面を見ることができた。

すごく興味深い体験だったと思う。


そういうところを経た、これからの私はどうなっていくのか。


これもまた、興味深いところである。



とりあえず、お疲れさま。>私

今日は、お祝いだ。 自分だけの密やかな(笑)。




朝から、浴室を真っ暗にして、キャンドルの灯りで入浴。


頭の中には、『Love...Thy Will Be Done』が流れていた。

というわけで、プリ曲妄想・第3弾。

ちょっとスピリチュアルな感じで書いてみた。




午前中に書いた、『Love...Thy Will Be Done


何気なく書いたようで、私にとっては意味のあるものになった。


昨年から、数名に、「私はシャーマンである」と言われているのだが、

そんな感じの言葉となった。



昨年も、何回か書いたことだが。


ありのままの自分でいること。

ありのままの相手を受け入れること。


幸福への答えは、必ず自分の中にある。

それを、見出せるか、まだ見出せないでいるかの問題なのだ。


微力ながらも、その手助けをしていけるのなら、喜んでさせてもらいたいと思うのだ。



オレンジと赤のガーベラを買う。



2006/2/4

ちょっと前から考えていて、先日、某m嬢との電話で話したことなのだが。


私の髄の部分は、きっと、美しくないのだろうな〜と。

きっと、純粋ではないのだろうな〜と。


でも、だからこそ、心が綺麗な状態を求めたし、願ったのだろうな、と。



以前は、心の中で、本当に、色んな人に対する感情が渦巻いていた。

多分、そういう負の感情は、相当に強くて。

そういう状態に、ほとほと疲れてしまったし、自分自身に嫌気がさした。


そこから抜け出すには、一旦、心の中を空っぽにするしかないと思った。



まずは、『自分で自分を認めてあげる』という作業に入り、

その後、『自分や他人の全てを許す』という段階に入り、

そして、『心に停滞していた感情を手放す』という状態に至った。



まぁ、これには、それなりのエネルギーを消費しました。

だから痩せたのかもしれない(笑)。

短期集中型の私だけど、かなり時間はかかったし。

自分の中では、相当な修行だったと思う。



o嬢は、今の私の魂を「透明だ」と言ってくれるけど、

決して、元からそうだったわけじゃない。(前は言われなかったし)


私は、それを、強く、求め、願ったのだ。

そして、欲しいと思ったら、なんとしても手に入れる。

この欲の強さもいい意味で作用してくれたのかもしれない(笑)。




とどのつまりは。


『我』も、『業』も、『欲』も、人一倍強い女だということで。




・・・・・・・・・・・・、はぁ〜(ため息)。



2006/2/5

ここ一週間ほど、

一人の時間は、部屋でも、浴室でも、キャンドルの灯りで過ごしていた。

とにかく、大好き。 落ち着く。




昨日から、これまたPRINCEの新曲『Black Sweat』で妄想文を書く。

それにしても、この曲格好良過ぎ♪

プリのPVにしてはめずらしく(←失礼)凄く格好いいし♪

昨日は、ず〜〜〜っとリピートしてた。




amazonでオーダーしていた、

TONY HUSSLE の 『SEXY,FREAKY,ELECTRIC』が届く。

このポカポカ陽気にもぴったりな、と〜っても心地いい曲。

全然、抵抗なく、す〜っと入ってくる。 いいな、彼♪


そして、ホメオパシーの本も届く。

最初の部分を、ほんの少し読んだだけだが、これはかなり興味深い世界。



2006/2/6

一週間くらい前、夫のS氏が、ふいに、

「あなたは、本当に素晴らしい人なんだね。

自分がここまでこれたのは、あなたのお陰だと思う」

などと言っていた。

そりゃ、もちろん、嬉しいし、感動もする。



しかし、それこそ、自分の【気】が戻ってきたからなのか、

他の方からも、お褒めの言葉をいただいりしても、


私は、そんなたいした人間ではない


という思いが、ここ数日、拭えない。



私が感じているこのあたりの部分を、

うまく言葉にできないのがもどかしいが、仕方がない。



ただ思うのは。

もっともっと高みはあって。

そこに行くには、もっともっと精進しなければと。



2006/2/7

マヤ暦では、今日から、8月


また納得してしまったのは、月の意味が、

今現在、自分が感じていることとリンクしていること。


昨年12月にmixiに復活して、

今年に入ってからは、もっと自分を出していこうと思っていた。

自分の【気】が戻ってからは、

確かに、自分に対する、お褒めの言葉や評価はありがたい。

だけれども、そこで胡座をかいてはいられなくて、

自分はまだまだ成長しなければならないという思いが強くて。

それには、どうするべきなのか・・・?

というようなところを、漠然と考えていて。



一旦、クリアにするしかないのか? 何を?

そして、私の歩むべき道は?




「words」をかなりの勢いで更新しているものの、

本当は、「soul」の方を書きたくて。

でも、あの場は、それこそ、私なりの人生哲学みたいなものを書くことになるし、

それには、もっと人間的な成長が必要で。

それと、自分の感じている部分が、もっと明確にならなければ、

言葉にすることができない。




先月27日にハンバーグを食べて、なんか、こう、不思議な満足感を得た。

あれから、あまり肉を食べていない。 魚もそんなには食べていない。

野菜と大豆製品が中心。 あと、海藻。

夫のS氏の健康診断の結果の一部が、再検査後も要観察だったこともあり、

少し、食生活を見直していったほうがよさそうだ。




そして、数日前から、モーツァルトが聴いてみたい。



2006/2/8

昨日、色々考えていて。

私の望みは、【真理の探究】であるというところに、たどりついた。


【真理】というものは、太古の昔から既に、存在していて。

それは、多分、感じるしかないのだと思う。 体と心で。


そのベースを作るためにも、衣食住という基本を見直し、正していこうと思った次第。

もっともっと感覚を研ぎ澄ますために。


私のことを「透明だ」と言ってくれる人がいる。

でも、まだまだ、足りない。

もっと純度を高めたい。

私の大好きな、ダイアモンドのような透明感と輝きを手に入れるまで。



私が自分を「強欲だ」と言ってるところは、ここにあって。

MADONNAの『Express Yourself』じゃないけど、

セカンドベストでは、イヤなのだ。 満足できないのだ。

それは、他人との比較ではなくて、あくまでも、私個人の価値基準なのだが。

自分の納得のいくところまで。

そして、望んだものは、必ず手にする。

どんなことがあっても。




それと、自分の興味あるところを、少し勉強してみようと思う。

それらや、物事は、全て一つに繋がる。

その先に、何かが見えてくるかもしれないとも思っていて。




昨日から、モーツァルトを聴きだした。

35歳で生涯をとじているなんて、冗談でしょ!?

それまでに、こんなにも曲が作れたなんて、到底信じられない。


などと思いながら、迎えた誕生日の朝。

母が、きっと、一生のうちで一番苦しい思いをして(三回あったけど)、

私を産んでくれた日。 本当に、ありがとう。 心から感謝します。



2006/2/9

重曹水で洗い物や洗濯、入浴をするようになってから3ヶ月が過ぎた。


そこで思ったことは。

人工的な匂いに囲まれて生活しているということ。

そして、その匂いに、あまりにも慣れてしまっているということ。



以前は、洗い物が好きではなかった。

今だって、大好きなわけではないのだが(笑)。

元々、肌は強いので、手が荒れるということはないのだが、

食器用洗剤と重曹水で比較すると、洗剤は、肌に負担がかかっていたというか、

あまり意識したことがなかったけど、肌がストレスを感じていたのだと思う。

あと、何が苦手だったかって、あの独特の匂い。

あれが、相当苦手だったということに改めて気付いた。



一昨年に、突然、入浴剤を使うのがイヤになった。

着色料が、肌に触れることが気になりだした。

あと、やはり、あの匂い。

以前は、それなりにいい香りだと思っていたのが、そう感じなくなってしまった。

重曹水は、無色、無香料。

香りが欲しくなったら、アロマオイルを使ってみようと思う。




食事に関して。


別に菜食主義になるつもりはないし、添加物に神経質になっているわけでもない。

ジャンクフードだって、スナック菓子だって、洋菓子だって、たまには食べる。


でも、基本は、米・野菜・大豆製品・海藻類・乳製品(少々)というところだろうか。

あと、糖分・塩分の摂り過ぎに注意。

成人病になる大きな原因の一つだと思う。

肉や、魚は、

「食べたいっ!!」と体が欲した時に摂取する程度でいいのではないかと。

それこそ、焼肉とか、ステーキとか、ここぞとばかりに美味しい肉を食べて。

でも、外食ばかりしていられないけど(笑)。


とにかく、メリハリをつけると。 

あと、食物の持つエネルギーと、自分が消費するエネルギーのバランス。

過不足なくというのが、目標。




自分の欲の方向性。


先日、『Love...Thy Will Be Done』の詩に書いたように。



あなたの魂を導こう



結局、ここなのだ。 

この言葉は、ある意味、ものすごく傲慢である。

だから、私はとんでもなく、ある意味傲慢だし、強欲だとも思うのだ。


ただ、間違えないで欲しいのは、私が思っているのは、

「その人自身に帰る」

「ありのままのその人でいられるように」

と、そういったところである。


自分の真の姿。 自分の原点。

そこが見えなくなって、見失ってしまっている人は少なくない。


その部分に、気付いてもらいたいと思っていて、

そのきっかけになれたらいいなと思うのだ。


そういうものを与えていける人間でいられたらなと。



2006/2/10

昨年末くらいからか、全身黒という格好をしていない。

黒い服は、それこそ、小学生の頃から着てはいたが、

それが、全身になったのは、高校卒業時から。

あんなに体が落ち着くと感じていたのに。

以前は、色物を着ると、体がそわそわして、どうにも落ち着かなかった。




真理=神とするならば。



「オーラの泉」の中で、神は、

「真」と「美」と、忘れてしまったが、あともう一つ何かであると言っていた。


それを感じること。 それに気付くこと。

そのためには、自分自身がその存在に近づくということが近道である気がしていて。


心ももちろんのこと、体の中も。

だから、基本の衣食住を見直すことが重要だと考えている。



私は、もっと美しい人間になりたい。

気高く、清く、透き通るような、心・魂を持つ人間になりたい。




それこそが、私の『欲』であり、『業』であり。

それらが強いことが、悪いことだとは思わない。


ただ、私が、少しでも成長できたなら、変化できたなら、

私を必要としてくれている周りの人に還元していきたいと思うのだ。


そうすることによって、同時に、私の『我・欲・業』は浄化されるのだと。



2006/2/11

節分前くらいから、

いつもより睡眠時間が短くなり、それにともない、入浴時間が長くなる。

ま、これは、私のパターンで。

一日中、なんやかんやと考えている。 つまり、脳みそが走っている。

(2003年12月や、2005年4月ほどまではいかないが)


キャンドルの灯りでの入浴は、体も脳もリラックスできて、

考えがまとまったり、ひょんな思いつきがあったりする。



で、昨日、少し言葉が出てきた。 それは仕事中だったけど(笑)。

それで、少しすっきりし、今日は結構寝ていた。



昨日より、タロットカードの意味を調べ、まとめはじめる。



2006/2/12

某ぽ嬢宅で、ガールズブラボー新年会。

別名、濃厚なプリファン婦女子の集い(笑)。


昼から、鍋&スパークリングワイン&白ワイン

&某ぽ嬢お手製の抹茶と甘納豆のシフォンケーキ

&ロイズのチョコチップス&アイスワイン

をいただきつつ、おしゃべりに花が咲く。


いや〜、楽しいねぇ〜♪

アイスワイン。 勘弁してくださいっつ〜くらい美味かったねぇ〜♪


某D嬢と、某る嬢が帰ったあと、某ぽ嬢と、初の語らい。

こちらも、相当、濃ゆい話ができて、とっても興味深かった。



皆様、お疲れさまでした♪

第二回、第三回と、どんどん開催していきましょう☆



2006/2/13

しかし。


まだまだだな。>私


まだまだ。 まだまだ。  まだまだ精進しなければ。



以前、今年の冬は「エレガードを使っていない」と書いたが、

乾燥が少ないのだろうか?

それとも、自身の体の保湿状態が割といい感じなのか?


そういえば、毎冬には、一箇所か二箇所ほど、爪にひびが入るのだが、

今年の冬は、まだ、それもない。


なんでも、中医学によれば、人間の体は【気】【水】【血】でできているらしいのだが、

爪には、【血】も関係しているそうである。 びっくり。


昨年の5月頃には、爪にひびがはいっていた。

4月の覚醒状態だった時に、とりあえずお腹に何かを入れていただけで、

きちんとした食事を摂ってなかったせいかもしれない。



何故、乾燥のことを書いているのかというと、

この寒い時期に注意すべきは、冷えではなく、乾燥なのだそうだ。

冷えは、急激に気温が変わる9、10月の方が要注意だそうで。


思えば、昨年、私が風邪をひいたのは、10月。

やはり、その頃の気温の変化に体がついていくのが大変なのだろう。



2006/2/14

結婚9周年。 10年目に突入する。 


ここ最近の、脳の走りっぷりに疲れていたのもあって、今日は有給に。


そう言えば、金・月曜日の仕事中には、贅沢倶楽部いちごミルクを飲んでいた。

帰宅してからは、芋けんぴをポリポリ(笑)。

何気に、体(もしくは脳)が甘いものを欲しているようである。



色々、思うところあり。 考えるところあり。



「イベリア・魂のフラメンコ」

素晴らしかった。


サラ・バラスが、情熱的な踊りを披露し、カットがかかった後、

「やり直しかしら?」などと、あっさり、穏やかな柔らかな声で笑顔で言う。

ものすごい美しさ。 まさに女神。

あの場の全ての人を魅了する。

踊ることに集中しているのではない。

どれだけ、その瞬間を捉えるか。

音と空気と自分の内なる魂に集中しているのだ。

それにより、手足が動く。 表情が変わる。 まさに憑依。 


アイーダ・ゴメスは、動きも表情もとても官能的。 男性と一緒に踊るのがいい。


子供から大人まで、普段着のジーンズ姿で踊っているのを観て、

とても幸せな気分になれた。

こうやって、小さい頃から、踊りの中から、

「男と女の愛の交わし方を学ぶのだな」と(笑)。



2006/2/15

母が久しぶりに、まつパーをかけに来た。


まぁ、それこそ、昨年からの諸々のことを話したりしていて。

「よく、そういう風に考えられるようになったわね」と言っていた。



「そういう風に」というのは、この日記でも何回か書いているが、

物事は、全て表裏一体。 両極だったり。 対極だったり。


今までは、ある方面からしか見れなかったというか。 視野が狭かったというか。

それは、私の物の見方や思考の癖というものの関係もあるし、

こと人に対してだとすると、やはり、感情というものも深く関わってくる。


どうしても、その部分に拘ってしまう【何か】は、必ず自分の中にある。



私は、世の中の全てのことを、全肯定することもないし、全否定することもない。

ただ、ただ、「そういうものなのだな」と思うだけ。


私にとっては必要なくても、他者にとっては必要かもしれない。

逆も、また、然り。

だから、私の考えを無理やり押し付ける気は、さらさら無い。


「私ばかり、苦しい思いをしている」という考えから開放されたのも、そう。

そう思うことで、自分を守ってきた、救ってきた部分は多分にある。

だけれど、ちょっと自分の感情を外して、見方を変えれば、

その苦しみが、自分だけではなかったことがわかってくる。


人と人の関係というのは、ちょうど合わせ鏡のようなものでもあるのだから。




物事の本質を見極めようとするならば、

まず、心から余計なものを取っ払うことが重要だと考える。

クリアにしていくこと。 心と繋がっている体も同様。

何回か書いているけど、これが、私の当面の課題であろう。



2006/2/16

客観性というものを、それなりに持ち合わせているつもりなのだが。


私は、あまりにも、私という人間に慣れ過ぎている。

これも、また、至極当然のことで。

生まれてこのかた、32年間も、私という人間をやってるわけだから(笑)。


で、何を書きたいかというと。

人から言っていただく様々な言葉が、どれだけありがたいかということ。

自分では、知りえない自分に気付かせてもらったり。


真摯に受け止めたいと思う、今日この頃。

それによって、自分に足りないところは補っていけるように。

自分のいい部分は、さらに伸ばしていけるように。




そういう実のある会話がしたい。

音楽や映画なども、美しいものを求める。

本を読んで気付くこともあったり。


誰にでも平等に与えられている時間を、有効に充実させていきたい。



中学の頃、大好きだった塾の先生が言っていた。

ゆっくり、急げ

ラテン語にこういう諺(なのかな?)があるそうだ。

一歩一歩着実に歩むことが、最短の道。 肝に銘じておこう。



今日も少し言葉が出てきた。 降りてきたと言うべきか。

しかし、先日のもそうなのだが、まだ、日記などで書く時ではないと感じる。



2006/2/17

先日、母に重曹の話をふってみたら、母の家でも使っているそうで。

何気に重曹利用者は増えているのですね。 いいことだ♪

何がいいって、一般的には、人にも環境にも無害だということ。


私にとっては、これさえも、【気づき】であったということ。

洗剤とはこういうものであるという、固定観念からの開放。

肌(触覚)や、匂い(嗅覚)という部分での、感じ方の違い。



人間が肉体を与えられた喜びの一つに【感覚】が挙げられる。

私は、人間は、もっと自分の五感を使っていくことが必要だと思っている。

【感覚】を鋭くする訓練は、まず、一番身近なところから。

肉体が感じる、その声に耳を澄ますのだ。



今日は、曇り空。 だけど、遠くまで視界が遮られることはない。

晴れていて、雲がほとんど無い日でも、遠くまで見渡せないこともある。


天気によるものではなく、空気が澄んでいるか否かの違い。

この違いは大きい。



2006/2/18

詩というものは、かなり、その人が出る。

なんなら、日記よりも、ずっとその人が見えるよな〜と感じる。


創作だから、もちろん想像なわけだが、その世界観は、その人独特のもの。

私的には、その世界に、その人の、感じ方・考え方などを見る。


・・・ということは、私も、そう見られているのかもしれない(笑)。



以前にも書いたと思われるが、もう一度書いてみる。


結婚前くらいから、鼻炎になった。

その後、どんどん酷くなり、一度くしゃみをしたら最後、

薬が効くまでの30分くらいは、延々と鼻をかみ続けなければならなかった。

ごみ箱を抱えて、ティッシュでいっぱいになるまで。

そうなってくると、頭はガンガンするし、とにかく気分も最悪。

一年間に、鼻炎薬を二箱は消費していた。


それが、止まったのは、別居をした時。

驚きでもあったし、納得でもあった。

(その後は、風邪の時は、鼻にくることが多いが、年に一・二回程度)


結婚から別居までの一年半は、

不満気味で、不機嫌で、ほとんど幸せだと感じたことはなかった。

「じゃあ、何で結婚したんだよ」と言われそうだけど(笑)。



「病は気から」とは本当によく言ったものだと思う。

体と心は切っても切り離せない。 

体の病気も、心の病気も、

どちらかだけを治せばいいという問題ではないように思う。


症状の出ている部分をケアするのはもちろんのこと、

体と心のバランスも重要だと思われる。

そして、そのバランスは、

日常の生活の基本中の基本である、衣食住と繋がっているとも思う。



2006/2/19

今朝、義父の弟さんが事故死したとの連絡が入る。

確か、私の父と同じ歳。

彼の家は、とんかつ屋さんだった。

私達が、夫のS氏の実家に行く時は、注文したりしていた。


義父は、ずいぶん前に、妹さんも亡くされている。

自分より年若い、弟や妹が先に逝くのを見るのは、さぞかし辛いだろう。


寿命は自分では、決められないし、計れない。

そんなことわかっているけど、なんともいえない気分になる。




その関係で、新潟の義妹から連絡が入り、

なんと、一週間ほど前に、甥っ子が凍結した道で転んで腕を骨折していたとのこと。


最初に出されていた鎮痛剤で、少し鬱のような状態だったようだ。

今現在は、動きたくても動けないフラストレーションで、

精神的に少し不安定になっているらしい。




なんか、こう、なんともいえない気分である。 それしか言葉が出ない。




夕方から、夫のS氏の高熱。

ものすごい苦しそうだ。 こんなのは、一体、何年ぶりだろうか?


さっき読んでいたホメオパシーの本によると、

「恐怖」や「急性のショック」などの克服のために効くレメディーが、

「風邪のひきはじめ」、「熱の出始め」にも効くということらしい。

ある観点からいくと、いずれの心と体の状態は、同じような症状かもと思ったり。


最近、本調子ではなかったらしいのだが、

それに、叔父を亡くしたショックも加わって、

熱が出ているということも考えられなくはない。

彼の心と体も正常に反応しているのだな、などと暢気に考えたりしてる私。



ホメオパシーの本を読んで思ったこと。


以前にも書いたが、ホメオパシーとは、同種療法のこと。

発熱の時には、体を冷やすのではなく、体を暖めますね。

それにより、汗を大量にかいて、熱を押し出す。

つまりはそういうこと。

同じ症状を起こさせるレメディーを摂取して、

異変を、バランスを崩していることを、体に気づかせる

そして、とことんまでその原因を排出させる。

結果的には、体を自然な状態に戻そうとする力=自然治癒力を高めることになる。


簡単に説明するとこんな感じ。



で、思ったこと。

私が昨年の4月にしていたのは、これと似ているのではないかということ。


『THE GIRLIE SHOW』のMADONNAは、

私の目には、心に傷を負った少女に見えた。

同時に、彼女の中に、私自身を見た。

DVDを観ながら、歌って、踊って、泣きまくって、

一番辛かった頃の自分の感情を放出しまくっていた。

「でも、よく頑張って生きてきたね」と、

自分の両肩を、自分の両腕で、しっかり抱きしめて。

「もう泣けない」ってところまで、何度も何度も繰り返し観て。

結局、某D嬢にお返しするまでに観た回数、50回は下らないと思う。


だから、すっきりできた。

その後も、色んな方とお話して、親子関係の話題になれば、胸が疼いた。

でも、徐々に、そういうものも薄れてきた。



辛かった気持ちは、自分でよ〜くわかった。

それでも、頑張って生きてきた自分を認めてあげることもできた。

だったら、いつまでも、そこに拘ってしがみついて留まっている必要はない。

私は、先に進みたかった。


ず〜〜〜っと停滞させていた、感情を綺麗さっぱり追い払いたかった。

気づいたのは、その心に停滞させていたものこそが、

私を、常に気分悪く、機嫌悪くさせていた原因だったということ。



2006/2/20

夫のS氏の熱は一応下がった。 けど、まだ少し熱っぽいらしい。

昨日は、途中、薬を飲んだりしたものの、夕方から朝まで、12時間寝ていた。



最近は、少し遡った時代に置き換えて考えてみることにしている。


「生」と「死」についてもそう。

昔、村の部落なんかで、皆が家族同然に暮らしていた頃は、

あそこのおじいちゃんが死んだとか、

あそこの娘さんが赤ちゃんを産んだとか、

もっと、身近に、「生」と「死」を感じながら生きていたはず。


そう思うと、何も「死」だけが、特別なことではないと思えてくる。


でも、それと、感情は別問題で。

悲しみという感情が沸き起こるのも、至極当然。

どのような形にしろ、感情を上手に放出することは重要。


で。 昨日の、夫の熱。

悲しみという感情を、体が「熱」という形で放出していたのではないかと。



2006/2/22

お通夜、告別式と、二日間通して思ったこと。

疲れますね。 心身共に(笑)。


それもそのはず。 

お経を聞き、焼香し、その間、参列者の方々に何度もおじぎをし、

それを、お通夜と告別式の二日間やり続け、

バスで火葬場へ行き、小一時間の待ち時間を経て、お骨を拾い、

またバスに揺られて戻り、ちょっと変な時間に精進落としのお膳をいただく。

肉体的疲労もかなりのもの。


残された者の故人への複雑な思い、悲しみ。

久しぶりに再会する親族と談笑してみたり。

二日間で、泣いたり、笑ったりと、心の中も実に忙しい。


そりゃ、心身共に疲れて当然だと思う。

自分に近しい存在であればあるほど。



棺桶の中に横たわる故人を見ると、思う。

「彼は死んだのだ。 もう息を吹き返すことはないのだ」と頭ではわかっている。

だけども、私の目は、そんな彼の肉体を、見る。

すると、まだ存在しているように思ってしまうのだ。


ここに、頭で思っていることと、心で思っていることの矛盾が出てくる。



人間は、いかに、

【目から入る情報を、自分の都合のいいように解釈しているか】ということ。

それは、何回か書いていることだけど、

感情という部分が非常に大きく関係していると思う。


私が見たのは、人間の体ではあるけれど、魂が抜けた後の遺体。

しかし、「信じられない。 もっと生きていて欲しかった」などの思いが、

まだ、彼は存在していると、私に感じさせていた。




だから、火葬場で、故人のお骨を拾うことは必要な行為なのかも。

あの段階で、少し、諦めがつくのは事実だから。



今日は、少し、一人で泣いた。

今まで、美味しいとんかつを食べさせてくれてありがとうございました。

どうぞどうぞ安らかにお眠りください。



2006/2/24

ちょっと興奮気味。 夢を見た。 かなり強烈な。


一応、山道らしい。

周りは樹々に覆われていて、なだらかな下り坂を歩いていた。

右手に、かなり古くなった木でできた、門みたいなものがある。

そこまでの石の階段も、角が丸くなっているほど、かなり古いもの。

その門は、引き戸になっていて、それを開けたら・・・

こんなところあるのか?ってくらいの、真っ白い宇宙みたいな、

とんでもなく、だだっぴろい空間に、でっかい木造の建造物。

何かはわからないけど、上部は、唐草模様みたいなものが彫られている。

辺りには、その他にも、あと、2つは、そういうものがあった。

さらに奥にも、もっとあるのかもしれない。

木造かどうかもわからない。 石造かもしれない。

寺院とか、有名どころの建造物とか、そういう感じだと思うが、

そんなに隣接して、いっぱいあるわけないし・・・。

でも、あくまで夢だから、そういうのも有りなのかもしれない(笑)。



とにかく、そのパワーたるや、相当なもので。

皇居で感じた、あの感覚の、数倍、いや、10倍くらいあるかもしれず。


一緒にいた夫のS氏が、そのパワーに圧倒されたのか、

後ずさりし、逃げ出してしまったため(笑)、私もすぐ彼の後を追った。

だから、ほんの一瞬しか見れていない。


私も、あのパワーには圧倒された。 だけど、もの凄く惹かれもした。


ものすごく高貴で、ものすごく清らかで、ものすごく透明。

逆に、威圧的ですらある。

でも、圧倒されてしまうのは、自分の内側がそうではないことの証。

自分も同じ状態だったら、心地いいはず。


私が、もっと高みにのぼれたら、あのパワーに圧倒されないくらいになれたら、

また見れる気がしている。



夢から、パワーを貰った。 これもある種の【ギフト】。 ある種の【啓示】。



2006/2/26

やっと、『The Complete Stevie Wonder Box』を聴きだした。



何故かわからないけど、ここ数日、虹が見たくてたまらない。



2006/2/28

とにかく、2月という月は、とんでもなくはやく過ぎ行く。



結構、な〜んか微妙な気分な人が多いようだ。





















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