2004/3/1

僕の愛している人よ  僕に抱かれてくれないか

突然で失礼だけど  とてもまともにゃいられない

もしも応えてくれたなら  君はきっと生まれ変わる

神も仏も引き連れて  君を幸せにしてあげる


僕の愛している人よ  僕と一つにならないか

下心などないけれど  試してみなきゃわからない

もしも嫌だと言われたら  辛い別れになるだろう

神も仏もわからない  君の未来が気がかりで



ユニコーンの「与える男」の詞の一部です。 あまりの感動に、聴きまくってます。


こういう心情を、こういう詞で表現しちゃうことに感激。

民生ちゃんのボーカルも最高。 さらっと、あっさりと、しかし、とっても真摯。

聴かせます。響きます。素晴らしい。



2004/3/2

<<クリスマス・イヴからの出来事>>連載の途中ですが、読み返してみて、

自分に起きていたこととは信じられないくらい(笑)

遠い昔のことのような気がする。

続きを書きたい気もあるのですが、どうもねぇ・・・。

思い返しているだけでも疲れるんですね(汗

そんなわけで、今日も全く違う話題で。



Dylanさんより教えていただいた、色占い


私の守護色はだそうです。

昨年末、購入した香水の蓋とボトルを飾るためのケースが赤。

そして、はじめて、真っ赤なカーディガンを買いました。

昔から、ペディキュアは赤。冬になると、ルームシューズが赤。

と言うことは、私は知らず知らずの内に足元に必ず赤を使っていたということです。


心身安定は黒、金

高校卒業くらいから、ずっと黒ばっかり着ている私。

インテリアも、小学生の時から、モノトーンでした。

やはり、体が落ち着くのですね。


パワー補給は橙、黄色

(この色は夫のS氏との、キューピッドカラーでもあるそう)

クッションカバーのオレンジや、香水が割と黄〜橙系の色が多いので、

そういうものを飾っているのもいいのでしょう。


万象学も、鬼谷算命学も、前世リーディングも、ソウルナビというのも興味深い。

全部読んで総合的に見てみても、割と辻褄が合ってたり、

たまにドキッとすることが書かれてたりするから、びっくり。



ちなみに夫のS氏の守護色は。彼のルームシューズも紺です(笑)



あと、こういう言葉がありました。

「直感を信じて今自分に何が起きているのか言葉に表すとうまくいく」

当然、言葉で伝えてもいましたが、時間に制限がある場合もあるので、

忘れないように書きとめておいたりしていました。

私が、何か書くことによって心が落ち着くというのも、妙に納得。



2004/3/3

1月終わり頃から出ていた、湿疹というか、とびひみたいなものが、

ほぼ治りました。もう、あと1週間経てば、完全に消えるんじゃないかな?


2月に入って、勢力を増して、体全体に広がった。

でも、やはり、かゆみなどは無い。

お風呂やお酒で、血液のめぐりがよくなると、少しかゆかくなったくらいで。

大体、私自身の症状とは思えなかったし、

放っておけば自然に治るような気がして、

必要性を感じなかったため、 結局病院には行きませんでした。

これは、昨年12月の、異常なほどの咳もそうでしたが。



さて。その他に変わってきたもの。


中学くらいからずっと酷かった、肩こりがなくなった。

もちろん押したりすれば「痛・気持ちいい」感じはありますが、

どうしようもなく、肩が重かったりする感覚はなし。


20歳過ぎくらいから続いていた、鼻炎もなくなった。

別居・修復後は、かなり軽くなってはいたのですが、

「髪の毛が塗れているとすぐくしゃみが出る」というのが全くなくなる。

「温度差」には多少弱いところはあり。


カラスの行水だった私が、長風呂派に。


疲れが溜まるとすぐ親知らずが痛んだのに、今回、それが全くない。

いい傾向である。出ているわけでもない歯は抜きたくないのだ!!



夫のS氏も、扁桃腺が腫れて、すぐを出す人だったのが、名古屋以降、全く無い。

彼も、今後は熱を出すことも、ほとんどないような気がする。



これらのことは、ものすごく、精神状態とリンクしているような気がしてならない。

【病は気から】とはよく言ったもので、まったくもってその通りな気がしてならない。



2004/3/4

【目は心の窓】といいますね。こちらも、すごく感じたこと。


自分自身の目の色が変わったりする体験をしたのもそうですが、

やはり、義母の目ですね。

あの時は精一杯だったけど、今冷静に思い返すと、とてつもなく恐い。

だんだん戻ってきた義母の目を見ていて、安心すると共に、

最初の頃の目の色を思い出す。


ドラッグなどで、「いっちゃってる」などと表現されますが、

薬とか無しで、精神状態だけで、ああいう状態になるわけですからね。


瞳孔が開きっぱなしというか。で、焦点が定まらないような。

目だけで、顔つきが変わるんですね。

それこそ、まさに、般若の顔なんですよ。

そして、何かにとりつかれたようにブツブツ言い続けていた。

自分の頭の中の不安や妄想を、さも、現実にあったことのように話すから、

いきなり聞かされた人は、驚くのも当然。




昨日、久しぶりに電話してみたら、義母は風邪をひいているとのこと。

でも、声も明るく、調子もいいらしい。

最初の頃の状態を自分で把握できるようになっているほど、冷静だし、

「健康には自信があったんだけど、まったくとんでもない病気になっちゃったよ」

なんて、笑いながら話ができるほど、リラックスしている。


やめると言っていたお店も、諸々の条件が揃えば、再開になるかもしれない。

義父も、できることなら続けたそうだったし。

「もっと調子がよくなれば、少しは手伝えるし」と言っていた。

無理のない程度に続けられるのなら、これほどいいことはない。


なんだかんだと20分ほど話して、義母の薬の時間の前に切った。



あぁ・・・、平和な午後である。



2004/3/7

「恋愛小説家」を観る。


ジャック・ニコルソンとヘレン・ハントが、

アカデミー、主演男優賞・主演女優賞を受賞した作品。


ジャック・ニコルソンもいいとは思うけど、

やはりヘレン・ハントは演技が上手いと思わされちゃうなぁ・・・。

まったくもって好みのタイプではないんだけど、

(特に、がに股でドタドタ歩くあの姿・・・。エレガントさにかける)

たま〜に「可愛い」と思っちゃうから、彼女の思う壺なのでしょう。


ストーリー的には、う〜ん・・・、まぁ・・・、

もう少し、素直でもいいんじゃないかなぁ〜?お互い大人なんだし。

ラストまで、時間がかかり過ぎな気がするのですが(笑)



2004/3/8

我が母がT家(私の実家)から出てから、もう15年になる。

私の人生の半分は、彼女と生活していない年数となってしまった。



昨年末。ただでさえ、あれやこれやと大変だったはずなのに、

私は彼女を本当の意味で、T家から解放してあげるべく、色々話をしていた。


と言うのも。

例えば、親戚が結婚した時、弟夫婦に「お祝いは贈ったの?」と言ってみたり、

今回の父の件でも、パニックになって、「あれこれ」言ってたんですね。

それによって、微妙に義妹との関係が気まずくなってしまっていて。


「心配する気持ちはわかるけど、もうT家の人ではないのだから、傍観してて」

と、まず、最初にはっきり伝えました。

そして、母も少し落ち着いた頃、

母が昔から気にしていた事柄を、一つ一つ説明していきました。


私は、それらのことを直接、祖父や父に聞いたわけではない。

しかし、今回、色々見えてきて、色んな話を総合すると、

「その裏にはこういう気持ちがあっての言葉だったんだよ」と、口をついて出てくる。

何故か、母も「そういうことだったんだ〜」と納得するんですね(笑)

そして、しみじみと、「あなたにはわかるのね・・・」と。

「そうだね。私はT家で生まれ育った女だからね」と。


ここが私と母の大きな違い。

そして、今は、私もT家を出た身。嫁の立場というものもわかる。



12月26日。ギリギリの状態で、私は母にこういうメールを出している。


父が、私を一番可愛がったのは、

祖父が「T家の女は死ぬ」と昔から言ってたのを知っていたから。

やっと授かった子供なのに、そんな不吉なことを母には言えない。

だから、父は自分が責任を持って、「この娘を死なせない」と誓ったの。

弟(長男)よりも、死ぬ可能性の高い私を愛そうと。 

それを母は、「【りん】ばっかり・・・」と嫉妬した。

確かに、嫉妬するくらいの溺愛ぶりだったのでしょう。 

でも、何かあると、私は父から「【りん】だからわかってくれるだろう」

と言われ(想われ)て無理をさせられ(違う人を優先され)、

母からは「父の方が好きなんだ」と嫉妬され、(父の気持ちがわかってしまう為)

結局、私の好きな両親から、一番には想ってもらえなかった。


私が人に求めなくなったのは、そういう理由。

求めたって、一番信頼する、愛する人からは、何も返してもらえない。  

我慢させられるだけ。(ついでに言えば夫のS氏との関係もそうだった)

私は強くなんか無い。今、私は子供みたいにビクビクして過ごしてる。


すっかり義母と同じ状態に陥ってしまったわけだけど、違う点は。

自分の状態さえも、全てが見えていて、

「私は私が生き抜くために、私自身を最優先させる」と誓っていること。

今までずっと、我慢してきた。自分を殺して、人に合わせて生きてきた。

もう、そんなことはしない。

この決意は、薬の効果より高いはず。私には、精神安定剤も、睡眠薬も必要無い。

ただ、体と心の欲求に素直に従うまで。




昔、私と母は仲が良かった。

しかし、ある日を境に、昔のように母のことを好きではいられなくなってしまった。

その理由も伝えました。私には相当ショックなことだったのだと。


それからは、私達の間のわだかまりも消え、意思の疎通もスムーズに。

今年の誕生日なんて「私の自慢の娘だもの」とメールにありました。

「お願いだから、よそでそういうこと言わないでくれ」と頼んでおきましたが(汗



2004/3/11

なんやかやと半年続けた、月に6日間だけの仕事が、

今月いっぱいで打ち切りとのこと。

私の仕事が無くても、生活していけないわけではないのだが、

少しでも収入は欲しいよなぁ・・・と。

うむ〜。



2004/3/13

私は昔からジュエリーを装飾品として、と言うより、お守り的に身につける人です。

なので、数的にも全然少ないです。

今年に入ってから、割と続けてリメイクなどを頼んでいるのも、

そういう意味合いが強いのかもしれません。


これから、厄がやってきます。私も夫のS氏も、来年、前厄。

しかし、某D嬢の話によると、肉体面、精神面の状態によっては、

前倒しでくる場合もあるし、後にくる場合もあったりと、個人差があるとのこと。



以前、生理前後に「何かを感じ取ってしまい、請け負ってしまう」と書きましたが、

やはり、そのようなのですね(笑)

先日、久しぶりに友達のN嬢と会ったら、

まんまと彼女のものを持ってきてしまったらしく(汗


アメジストのリングがあるので、ずいぶん軽減してはいます。

(この時期になると、自然とつける回数が増える)

今、オーダー中のブレスができれば、もっとガードされると思います。

夏頃予定しているリングが完成すれば、ほぼなくなると思います。

「感じる」のは別にいいんですけど、持ってきちゃうのはしんどいので。



そのN嬢の1歳過ぎの息子のKくんが、現在人見知りが激しいということで、

「泣くかな〜?」と半ば楽しみにしていったのですが、

泣かない。 むしろ、にやついている(笑)

彼女も「えぇ〜!?」と驚いておりました。

やっぱり、生後4日目にも、私がいる時、目を開けてくれていたし、

私のことが好きなのねぇ〜♪ ウフ♪ウフ♪運命を感じるわ♪



2004/3/15

この前、これから、厄が来ると書きましたが、

なんと。算命学によると、私は今年の2月から天中殺に入ったらしく、

再来年の節分まであけないらしいのです。



昨年末に不思議な感覚を体感しました。

とても天気のよい日。太陽の光が差し込んでいるリビングに私は立って、

夫のS氏にそばで見ていてもらいました。

私が廊下の方に歩き出すと、日が隠れ、陰ってくる。

またリビングの方に歩き出すと、雲がきれ、日が出てくる。

これが何回か繰り返されました。


自分の胸に不安がよぎると、空が曇る。不安が消えていくと、また日がさす。


あの時は、まさに自然界のリズムと自分のリズムが調和していたようで、

全てが味方になっていてくれていたような気がしました。


その後も【気】というか、【流れ】というか、【リズム】みたいなものを、

感じるというか、そういう部分に意識がいくようになりました。



その中で、友達からシャーリー・マクレーンの「アウト・オン・ア・リム」

借りて読んだり、(BGMはマドンナの「レイ・オブ・ライト」)

某M嬢より「前世療法」の話を聞いたり、

(某D嬢に教えてもらった「色占い」の中でも前世リーディングに惹かれた)

精神世界というと、眉唾もののように感じられますが、ちょっと違うのですね。

結局は、【気】もっと言えば、【エネルギー】というような。

それは、一人一人の人間に宿り、自然界の全てのものに宿り、

宇宙レベルで存在していると。

そして、自分は全ての生きとし生けるもの、広大な宇宙の中の、一部であり、

一人一人が意識を持ち、少しでも自分らしく生きることができたのなら、

世界全体に、宇宙全体に、少なからぬ影響を与えることができる。

【輪廻転生】や【魂】の話も関わってくるのですが、それはひとまず置いておいて。



天中殺というのは、「運気の枠が外れる」状態のことを言うそうです。

自分の運気の膿や毒を出す期間でもあるそうです。

そして、本人の枠が外れてるので、天の【気】を吸い込む期間なのだそうです。

とかく、精神が不安定で動きたいという衝動に駆られたりもするそうですが、

(自分の【気】とは異質の【気】が入り込むことによって、こう感じるらしい)

【気】を吸い込んでいる時は、むやみに動かず、

運気を休ませることが大切なのだそうです。

枠が外れていることを最も効果的に活用するのは、精神で消化することだそうで、

哲学、精神修養、まれに偉大な霊感、直感を獲得することもあるそうです。


私はこの説明を読んで、

「天の【気】を吸い込む期間だなんて、いいじゃない♪」と思いました。

自分は余計な動きはとらずに、ただ静かに全てを受け入れればいい。



今、興味があることだし、ゆっくり【気】のお勉強でもしてみようかしら。



2004/3/16

数日前から気がかりなことが。

84歳の義祖母が体調を崩して、レントゲンをとってもらったところ、

肺の下に影があるらしい。

昨年11月の健康診断の時より、形を変えて大きくなっているとのこと。

今週金曜日に精密検査。


電話してみると、弱々しい声。 息切れするらしい。

何ともしてあげられないのが、辛いところだが、

大人しく検査結果が出るまで待つしかなさそうだ。


明日あたり、義祖母が好きなプリンでも持って行ってみよう。



2004/3/18

さて、そろそろ <<クリスマス・イヴからの出来事>>の続きといきましょうか。



翌、28日。

義母が「お寺(お墓)に行きたい」と言っていたので、皆で行くことになっていた。


私はまだ体調が思わしくなく、

今回は「滞りなくすませることが必要だ」という思いがあって、

ゆっくり支度をして、持っていくものを何度も点検した。

車の中で、お赤飯やら、焼きそばやら、黒あめやら、食べたいだけ食べていた。

いつもより、かなり道が空いている。すんなりお寺につく。


お墓掃除をはじめた私達。

いつもは、風が強くて、とてつもなく寒いのに、風が全く無い

今まで、この場所に来て、風が吹いていなかった時など、一度も無かったのに。


掃除の途中で義父が来る。結局、義母は来なかったとのこと。

住職の奥方が呼んでいるから、顔を出していくようにと言われた。

私は自分自身の元気もなかったし、翌日は父の手術だし、

気乗りはしなかったのだが、一応、挨拶に行くことにした。


掃除も終わり、お線香をあげて、手をあわせていると、後ろから、すごく強い西日

背中がジリジリと熱くてたまらない。

「お義祖父さんが、パワーを与えてくれているのだな」と思った。

それにしても、すごい熱さだった。


挨拶に顔を出すと、住職の奥方は風邪をひいてらした。

マスクまでつけて結構苦しそうだったから、すぐにおいとまを・・・と

思っていたのが、結局、40分くらい話をしていた。

多分、義父から、私の父が手術をすると聞いて、心配してくださっていたのだ。


何故か、主に、食べ物の話をしていた。とりわけ卵の話。

昔は、病人食であった、卵。 かなりの栄養価であるということですね。

なるほど、私は普段あまり食べないはずである。

それを、義母は2〜3年前くらいに、一日に2つも目玉焼きを食べていたとのこと。

夫がそう言った瞬間、「えぇ〜っっ!!」と、ものすごく驚いた。

前から、高血圧、高脂血の薬を飲んでいる義母。

そんな人が、こんな食生活じゃ薬飲んでる意味ないじゃない(汗


その後も、色々食の話は続いたのだが、

食べ物の【食べ方】というのも、精神状態と非常に関係があるように思った。



帰り道、中華そば屋に入る。

義祖母はラーメンが好きなので、年越しそば用に、お土産用の中華そばを買う。


夕方、新宿へ向かった。バカラのキャンドルホルダーを買うため。

疲労はものすごかったが、街に出て、買い物をしたせいか、少し気分が晴れる。

この日もホテルに泊まった。



明日の手術は家族総出で付き添うようだった。

弟が電話で「姉貴は来ないのか?」と聞いてきた。

やはり、お医者様に、死の可能性についても言われていたのだと思う。

私は、この騒動がはじまって以来、一度も父に会っていなかった。

私の中では、「父がもし死を迎えたとしても、仕方がない」と思っていた。

「元気な父でなければ、会う必要は無い」とまで思っていた。


かなり体重が落ちていたし、疲れた顔を見せて心配させたくないと思った。

それと、あの時のように、病室で横たわる父を見たくなかったのだろう。



忘れもしない、高校3年の始業式の翌日の土曜日。

この頃、父と継母の喧嘩が絶えず、この日も、朝から派手な言い合いが。

「またやってるな・・・」と思いながらも、私は、久しぶりに母に会いに出かけた。

夕方、家に帰って来ると、祖父が「そこに座れ」と言う。何かと思っていると。


父が薬を大量に飲んだ


もう既に病院には運び込まれていた。 継母の姿は無かった。

とりあえず、私と祖父で必要なものを持って病院に行くことにした。


集中治療室。

私と祖父は、白衣を着、マスクと帽子をつけて、病室に入った。

ベッドに手足を繋がれている父。暴れるから仕方がないのだそうだ。

胃を洗浄し、意識はある。しかし、まだ朦朧としているようだった。

祖父が「りんが来たぞ」と言っても、わからないようだった。

私も父に話かけたが、反応は無く、最後にたった一言。


「看護婦さん、おしっこ」


どうやら、全身、白づくめの私を看護婦と勘違いしたらしい。



明日は勝負の日。

私の体力は持つのだろうか? と少し不安になりつつも、すぐに眠りについた。

この頃、私は亡き祖父に言われていたのだ。

「父を死なすな」と。



2004/3/20

翌、29日。

朝7時過ぎ、夫のS氏に起こされる。この日は、今までで、一番最悪な朝だった。

とんでもない寝汗。とんでもない疲労感。

寝ている内に、かなりのエネルギーを消耗していたらしい。

自分では起き上がれず、腕をひっぱって起こしてもらう。


夫は仕事のために先にホテルを出る。

昨日、買っておいた、おにぎりをインスタントの味噌汁で流し込む。

もう、唾液がほとんど分泌されていない状態。普通に飲み込むことすら困難。


少しでも体の疲れをとるために、広い浴槽に体を沈める。

やはり、ホテルに泊まって正解だった。

40〜50分間、そのままボーっと入っていた。

その後、体と髪を洗って、再び浴槽に。

ジャグジーがついていたのを思い出して、スイッチを押す。

泡に打たれて、体はふわふわと浮いているようだった。

止まったのを合図に、やっとお風呂から出た。少し体が楽になる。

時計を見ると、丁度9時。 そろそろ父の点滴がはじまる頃。


髪を乾かし、部屋を片付け、ゆっくり帰る用意をする。

家に着き、時計を見ると、丁度10時。 手術がはじまる時間。



母と友人にバカラのグラスをプレゼントしたことがあって、

「手術日には、グラスの8分目まで水を入れて、陽のあたるところに置いておいて」

と頼んでおいた。

家にあるバカラを総動員して(笑)水を入れ、ダイニングテーブルの上に並べた。

水が入ったグラスに陽があたる様は、美しく、力強く感じられた。



数日前から引き続き、部屋を片付けて、掃除をしなければならない。

まだ、ふらふらしながらも、体力をつける為、買ってきたカルビ焼き弁当を食べる。

片付けの最中も、お赤飯にかじりついていた。とにかくお腹がすいてたまらない。

お昼頃、夫のS氏が一旦、家に戻ってくる。

今年の最終日だったため、仕事も忙しく、家のこともあって、イライラしていた。

私も、本来ならもっと動けるはずなのだが、とにかく体力が無い。

しかも、腕や首をグルグル回したり、深呼吸したりと、体が勝手に動いてしまう。

なので、何をするにも、いつもの倍くらい時間がかかってしまい、

2人のイライラが募って、つい、喧嘩腰になってしまう。

夫に頼んでいた部分が済んだ後、夫は仕事に戻っていった。


掃除も済み、私は最後の仕上げとして、ローズヒップティーを1袋全部煮出した。

まるで、ドス黒い血のようだった。

それを、シンク、洗面台、お風呂、トイレの4箇所に流した。

父の血の流れもよくなるであろう。

全てが終わって、時計を見ると、丁度3時

疲れて、眠くてたまらなかったので、寝ることにした。



後で父に聞いてみると、手術終了は3時だったそう。

心臓にある4本の太い血管中、3本には一箇所づつ、1本は2箇所の固まりが。

その、どこか1つでも完全に塞がってしまったら、あなたは死にますよ。

と、散々、お医者様に言われていたのだそうだ。



この日は、ずっと父の体のリズムに沿って、私の体は動いていたようだ。

点滴中は眠くなり、手術中はしんどくなった。

それでも、とにかく、家の【気】をスムーズに流すことが必要だと思っていた。



夜。夫のS氏の上司が退職するとのことで、送別会があった。

私は何故か彼に気に入られていて、

飲み会の度に誘われていたのだが、他の方を知らないし、ずっと断っていた。

しかし、今回は、送別会ということで、出席することに。


「体、柔らかいね。ヨガでもやってるの?」という言葉で気付かされた。

今日の疲れをとるかのように、また、体が勝手に動いていた。

飲んで、食べて、ストレッチして(笑)

初対面の人達に囲まれながらも、私は、自分のペースで楽しんでいた。

手術が無事終わった安心感と酔いで、疲労感さえも心地よいものになっていた。



2004/3/22

以前書いた、天中殺

思い返してみると、前回は18〜19歳の時。しかも厄(汗

今の私の精神状態とは似ても似つきませんが、

「う〜。あ〜。あの感じね・・・」と苦笑いするしかありません。


私は、あの頃、何に対しても、全くやる気がなかった。

ただ、ただ、だらだらと時間だけが過ぎていっていたような。

家のことでも、次々に何かが起こるし、自分自身も何をしたいのかわからないし、

自分のことなんか好きでもないし、自分に自信なんて全く無いし。


そんな時、好きだと言ってくれた人がいました。

そして、その人は妻も子供もいる人でした。

私は、2年間、その人と付き合っていました。


天中殺があけて、20歳になり、しばらく経った頃、真剣に別れを考え、決意。

その時、夫のS氏と出逢いました。



私も、歳も歳なので、「子供を・・・」と考えてもいたのですが、

天中殺中は、新しいことをはじめない方がいいらしいのです。

「迷信だ」など、色々意見はあるとは思いますが、

私は、今回は、すんなり信じてみようと思います。



今まで、私は、「何かが起きた時にすぐ対応できるように」

とすごく身構えていた気がします。気を張っていた気がします。

いつも無意識の内の緊張状態にいたから、ちょっとしたことでイライラしたり。

だから、何か起きても、気持ちの切り替えもはやく、割と冷静です。


でも、だから、何?


自分が傷つかないように、ガードしていたのでしょう。

でも、ガードしているからって、傷つかないわけじゃない。

それならば、力を抜いていたっていいではないか。


やっとこう思えるようになりました。

だから、この2年間は、少しリラックスすることを学ぶ時期というか、

精神的に、ゆったり過ごすことを学ぶ時期というか、そういう風にしようかなと。



近くでも構わないので、旅行に行きたい。

いつも生活している空気とは、違う空気を感じてみたい。


ヨガにもちょっぴり興味あり。


そのためには次の仕事探さなきゃ(汗



2004/3/23

最近、割と読書家な私。

と言っても、大好きな詠美姐さんの本を読み返しているだけなのですが。


その中で、今回沁みた言葉。


「彼女は、誰の人生も変えやしないよ。

ただ、人の人生を元に戻すだけさ。本来、あるべき姿にね

アニマル・ロジック より


「人との関係に永遠なんてあり得ないということ。

もしも、永遠を作り出したいと思うなら、その答えは、今にしかないということ

PAY DAY!!! より



ある意味、当たり前過ぎるほど、当たり前な言葉。

それをシンプルに表現してくれる彼女を、「やっぱり好きだな」と思う。



2004/3/26

某I氏と渋谷にて飲む。


彼が来るまで、一時間くらいカウンターで飲んでいたのですが、

やっぱ、いいっすねぇ〜♪ もう〜、大好きっ!!!


2軒目のソウル・バーも素敵でした。

広さもいいし。音もいいし。

すっごい久しぶりにウィスキーなぞ飲んじゃった(笑)

でも、今度はロックじゃなくて、ストレートで飲もうっと♪



inserted by FC2 system