2003/9/3
数年ぶりに「パープル・レイン」を観る。
突っ込みどころ満載の作品なのですが、まぁ、そこはぐっと我慢して(笑)
プリンスがアポロニアを殴る(というか叩くかな?)シーン。
ショックでした。あんなシーンがあったことをすっかり忘れていたから。
後に抑制がきくようになるものの、どうして、こう、親の嫌なとこって似るかな・・・。
プリ様の体がとっても綺麗!!
筋肉のつき方もいい感じだし、肩甲骨がクッと出る背中がなんともセクシー!!
歌詞の訳を見ていると、プリンスは昔から愛を欲していたんだなぁ・・・と思う。
今は、彼の最愛の人である、マニさんに出逢えてよかったなと心から思う。
2003/9/8
誰にでも懐かしい味って、あるものですよね。
私はこの前、何年かぶりに、昔を懐かしんで麦チョコなぞ食べてみました。
誕生日には「苺と麦チョコ」を必ず用意してもらったものです。
大きくなってからは、「苺と甘栗」になりましたが(笑)
夫のS氏にとってのそれは、みょうが入りの味噌汁 。
私は実家で、みょうが入りの味噌汁は飲んだ記憶が無いので、
結婚してから一度も作ったことがなかったと思う。多分。
夫のS氏がみょうがを買って来た次の日、私が味噌汁に入れるのを忘れていたら、
「俺のみょうがちゃんは!?」と冷蔵庫内を探していた。
はぁ・・・、そうなのか。“俺の”なのか。しかも、“ちゃん”付けなのか(笑)
それほどまでに好きだということが、割と最近発覚しました。
まぁ、みょうが入りの味噌汁くらいで幸せになれるんだったら、
いくらでも作ってさしあげようではないの。
2003/9/9
月のすぐ側の、オレンジっぽく光る、星より大きいものは何だ?
と思ったら、あれが火星だったのですね。
時間が経つにつれて、だんだん月から離れてきたけれど。
なんだかずっと眺めていたい・・・。惹きつけられる美しい輝き。
2003/9/10
昨晩から月が気になって仕方がない。
9時頃までは雲が厚くて、全く見えませんでしたが、
現在、12時過ぎ。綺麗に見えております。
でも、火星との距離が、ずいぶん開いてしまいました。
昨日の8時頃は、すぐ側にあったのになぁ・・・。
2003/9/11
これまた、数年ぶりに「アンダー・ザ・チェリー・ムーン」を観る。
やたらとキスシーンが多いぞ!!
プリ様はとってもチャーミング♪
ストーリーは閉口ものですが、衣装なんかは好き。
で。びっくりしたんですけど、
マリー役って、クリスティン・スコット・トーマスだったのね。
今となっては、演技派女優の地位を確立しつつある彼女だけど、
この作品が、映画初出演とはなぁ・・・。
実際フランスで演技の勉強してたらしいけど、すっごいイギリス英語ですしね(笑)
今宵の月は、神々しいほどの輝きを放っている。
月の光りは、人を惑わす。
少なくとも、私にはそう。ここ数日、月ばかり眺めている。
2003/9/14
大ちょんぼをやっちまいました。
エクセルを使って行う試験だったのですが 、
ほとんど終わりかけだったのに、エラーが出て、いきなりの強制終了。
保存をしてると思ってたら、おもいっきりしてなかった・・・(汗
あぁ・・・。私の大馬鹿者ぉ〜!!
その後、最初からやり直して、どうにか終わらせたものの、
あせってたから、細かいところをいっぱいミスってると思う。
よって、今回も駄目だと思われ。とほほ・・・(泣)
2003/9/15
本当に。いつもと同じ操作をしてただけなのに、どうして止まっちゃったんだろ?
で、1回目は仕方ないですよ。ついでに保存してなかった私が悪うございますよ。
1つの作業を終わらせてから保存するのが常なんだけど、
その作業中に何回も止まるっつ〜のは・・・(汗
いつもの自分のPCだったらそんなこと無いのになぁ〜。おかしいなぁ〜。
次回は、自分のPC持込で受験した方がいいかなぁ・・・?
重いし、面倒なんだけど(笑)
2003/9/16
皆さん、お気遣いありがとうございます。
ここ最近、ちょっと「心ここにあらず」だったのかな?
っていう気がしないでもない状態だったので、
本人的には、落ち込んでないんですよ。
駄目だったら、次頑張ればいいじゃんってな感じで(笑)
そんな「心ここにあらず」の原因である部分を、書いてみようと。
内容は私の家庭内のことになりますし、
決して楽しいものではないとも思われますので(笑)、この場には書きません。
連載になっちゃうと、映画のことも書けなくなりますしね。
興味のある方は、下の「about me」からどうぞ。
2003/9/17
同じ香りでも、
オード・トワレ(EDT)と、オード・パルファム(EDP)では印象が全然違う。
値段も違えば、香りの質も持続性も違う。
やっぱりいいなと思うのは、オード・パルファムの方。
プリ様やマドンナも愛用という、アニック・グタールのオーダドリアンも
EDTとEDPの差、メンズとレディースの差もあるだろうから、
実際試してみないとわからないだろうな。
今度、伊勢丹かバーニーズで試してみようっと♪
夫のS氏は香水好き。いつも必ずつけている。
何種類もの香水が全て無くなってしまったので、最近5本購入しました。
本人的にはもっと欲しいらしい。
性格出てますね。 O型の射手座。好奇心旺盛で、浮気性。
私は気が向いた時にしかつけません。そんなに色々つけたいとも思わないし(笑)
2003/9/18
最近、自分の感情のあまりの激しさに驚いていたりする。
普段からというわけではないけれど、何かの瞬間に。
それこそ、常軌を逸しているのではないかと思うほど。
以前、夫のS氏は、私がそういう状態に陥った時、
私のことを「わかってあげなくちゃ」と思い、そっとしておくか、なぐさめてくれていた。
私の話を聞いて、「辛かったんだね。大変だったんだね」と同調してくれていた。
今は、「わからないものは、わからない」と言う。
だけど、私の話を聞いて、彼なりに想像して、
「(自分なら)もしかしたら、こう感じるかもしれない」と言ってくれる。
こういう率直な意見が、私にとっては、大きなヒントになったりする。
前者も、後者も、同じ優しさから出ている言葉だが、全く異質のもの。
私にとっては、後者の優しさの方がとてもありがたいし、心地いい。
こういう言葉によって、私の感情的な視点からだけではなく、
新たな視点で見つめてみたり、考えたりすることができる。
そこから出てきた、私のある瞬間の感情の激しさに対する答えは。
やはり、心に負担をかけてきていたということ。
心に湧きあがる感情を、例えそれが、暗い感情だとしても、
その時、その時、一つ、一つ、素直に感じ、受け止めてこなかったから。
平静を保つために、無理に均された感情の起伏は、決して消えることはなく、
いつか、どこかで、突発的に表面化されるということだ。
笑いたい時には笑い、泣きたい時には泣く。
こんな当たり前のことが、心のバランスを保つ最適で最良の方法なんだな。
そして、これこそが素直になると言うことなんだな。
2003/9/19
慣れていない感情に、心がむず痒かったり、照れくさかったりする(笑)
だけど、気分的にはいい感じ。
これが素直になるということなのかな?ちょっぴし前進できているのかもしれない。
私の実家のT家のことを振り返ろうとしはじめた矢先、
夫の実家のS家のことで、ちょっとした事件勃発。すごいタイミング。
これって、T家もS家もどちらも、私にとっての家族だからなんだな。
ごく当たり前のことなんだけど、今までは切り離して考えていたところはあったかも。
S家の人達に対して、「もう関わりたくない!」と思ってしまったら、
彼らと血の繋がりのある夫のS氏に対しても、気持ちが冷めていく自分がいた。
・・・・・・それはまずい(汗
別居までして、自分達の問題、自分達の関係を修復してきた私達なのに、
自分達以外の問題で、家族のことで、この関係を壊すわけにはいかない。
なんとしても回避しなければ。
今までの私的な感情を入れた見方を、ひとまず脇に置いて、
その言動の裏にある、その人の想いという部分を見てみようと。
例え、その言動が、ありがた迷惑的なものだとか、間違った方法だったとしても、
その人にしてみたら、私や皆のために、
その人なりに考えて、その人なりに一生懸命にやったことかもしれない。
四の五の言わずに、まず、そういう相手の気持ちを、受け入れて、認めてみようと。
そうすると、少しだけ、優しい気持ちになれる。穏やかな気持ちになれる。
「だって、こうだったじゃん!」と責める感じではなく、
「こうだったら、よかったのにな」という風に捉えられる。
人を責めてしまう感じだと、自分的にもとても後味が悪い。
言われた相手も、頭にきて、感情的になってしまうだろう。
でも、意見を提案するというか、そういう感じなら、何も後ろめたさはないし、
相手にしても、素直に聞き入れやすいのではないだろうか。
人のせいにして、人を責めることしかできない自分。
人に対して優しい気持ちを持てる自分。
このどちらも、全く別の自分ということではない。どうやら紙一重のようなのだ。
2003/9/21
ここ数日間で、今までの考え方からすっかり変わってしまいました(笑)
いや。本当。「人を認める」とか「自分を認める」って、
最初はちょっと照れくさいけれど、とっても気分がいいものです。
今までは、私の実家のT家や夫の実家のS家の家族に対して、
私の彼らに対する感情を含んだ視点でしか見れなかった自分がいた。
客観的に見ているつもりでも、私的な感情が入り込み、一方的な見方をしてしまう。
そして、私の勝手な見方で、判断で、人を責めるようになってしまっていた。
もう。本当に、自分自身で、これが嫌で(笑)
「人を責めたくない」「素直になりたい」と強く感じたから、
色々振り返ってみようと思ったわけで。
「まず相手を認めよう」と思い、
「あの言動は、こういう想いでしてくれていたことだったんだな」と思ったら、
驚くほどあっさり気付いたのが。
「なんだ♪私も相手も、やり方は違えど、想いは一緒なんじゃん♪」ということ。
そして、相手のためを想っている自分に対しても、
「優しい気持ちを持つことができるんだな」と認めることができた。
そうして、過去のことを色々思い返してみると、
「誰かが悪いというわけではないのでは?」ということに気付いた。
犯罪行為なわけでもなし、一体、誰が誰を裁く必要があると?
皆、自分は一生懸命なんだということを、誰かに認めてもらいたい。
そういう欲求が皆無の人間なんていない。
「本当は、あなたに認めてもらいたい。受け入れてもらいたい」
と素直になれないから、相手のそういう想いも受け入れられないのではないかと。
そして、「わかってくれない」と相手を責めるようになる。
各々の感情が入り込んで、積み重なり、どうしようもない状況を作り上げていく。
誰もが、決して、望んでいるわけではないのに、結果的に傷つけあうことになる。
ねぇ? もしかしたらすっごく簡単なことだったんじゃない?
素直になれたら、お互いを認め合えたら、回避できたことだったんじゃない?
2003/9/22
目の前にある問題に、対峙する性格。私が、強いと言われる所以。
いつまでたっても終わらないのはしんどいし、面倒なので逃げません(笑)
あっさり立ち止まります。こういうところ、潔ぎ良いです(笑)
自分なりにとことん突き詰めて、精一杯努力して出してきた答えには、
毎回納得しています。後悔はありません。
そりゃあ、後から振り返って「失敗したなぁ〜」というのはありますよ。
そんなの反省して次に活かせれば、次に繋げればいい話なわけで(笑)
自分で、動物なんだなぁ・・・とつくづく感じる。
あまりにも、心と体が直結し過ぎていて、びっくりする。
以前、夫婦間のことを書いた時も、そして、今現在も、
ばっちし、胃腸にきちゃってます♪ アハ♪
心の中を整理して、書き綴ろうと思っている、私の体が、
体の中のものまで、搾り出そうとしているかのよう(汗
この、呆れるくらいの体の正直さは、一体何なんでしょう? (笑)
少々話はずれますが、これが、私がペットを飼わない理由でもあると思う。
だって、自分の世話だけで精一杯なんだもん(笑)
理性と本能のバランス。
現状をしっかり見据えるために、自分の意志で、立ち止まる。
その苦悩や決断は、必ず、心と体を自由にする。 私はそう信じてる。
2003/9/23
人は誰でも自分のことが可愛い。私も、自分のことが可愛い。
「昔の私は、本当に可哀想だったな」と、今は素直にそう思う。
裏に書くと宣言していた、家庭の事情の方をちっとも更新していないので、
その理由がわからないかもしれませんが(笑)
でね。とっても不思議なのが、今は、こう思っても、こう書いていても、
ちっとも胸も痛くないし、ましてや涙なんか出てこないということ。
私は、やっと、昔の自分をそのまま、
静かに受け入れることができるようになったのかもしれない。
単純に、純粋に、当たり前すぎるほど当たり前のこととして、
捉えることができるようになったのかもしれない。
感情が揺さぶられていたのは、涙がこみあげてきていたのは、
「自分が可哀想だ」と思う一方で、「認めたくない」と必死で抗っていたから。
認めるのがこわかった。本当に可哀想な子になってしまいそうで。
自分が可愛いから、自分を傷つけたくないから、自分を納得させるために、
何かしらの理由を求めていた。これが、結果的に、人を責めてしまっていた原因。
何も、誰かを傷つけようとして、責めていたのではない。
この矛盾に罪悪感が生まれる。
「何で不満ばかり抱いてしまうのだろう?」「何で素直になれないのだろう?」
「何で人を責めてしまうのだろう?」「何で人を傷つけてしまうのだろう?」
そして、自分を可愛いと、好きだと思いたいのに、思えなくなっていく。
そんな自分をも責めていく。自分で自分を、本当に可哀想な子にしてしまう。
全くもって、悪循環。
私、こんなこと、15年以上、繰り返してきたんだもん。そりゃ、嫌にもなるわさ(笑)
今も、自分のことは可愛い。でも、前とは違った意味合いで。
自分に対して、そして、自分の大切な人達に対して優しい気持ちを持ちたい。
そして、そう思える自分が好き。
今までは、「人に優しくする」というのは、同情に近い感じだったと思う。
私は、人から同情されるなんて、まっぴらごめんだ。
そう思っていたはずなのに、人に対してそういう風に接することしかできなかった。
大切な人達が困っていたら、助けになりたい。
見返りは求めますよ。 ええ。ええ。あっさり求めます(笑)
たった一言。 「ありがとう」 という言葉。
本当にそう感じたことによって、発せられた感謝の言葉は、私をとても嬉しくさせる。
「こんな私でも人のためになれるんだ」と自分を誇らしく思わせてくれる。
そして、そう思わせてくれる人達に、私もまた、感謝できる。
これって、すっごい、良循環♪ (←こんな言葉あるのだろうか?)
2003/9/24
色々なことを考えだして、書きだしてから、数日経った今日、はじめて泣きました。
今まで私は、泣くとしたら、感情のままに、堰を切ったように泣いていた。
いわば、自分のために。
私の胸が痛いから、泣く。そうするしか感情を吐き出す術を知らなかった。
あることを、ある人のことを考えていたら、涙が頬を伝った。静かに流れ落ちた。
そして、これは、決して私の胸が痛いから泣いていたわけではない。
あなたは昔から、私の話に耳を傾けてくれた。
私はそんなあなたの優しさに甘え続けていた。
傷ついていた私を見てるのは、辛かったでしょう?
私の話に、何度も胸を痛めてきたでしょう?
ごめんね。 私は、私だけが辛いんだと思ってた。
あなたを大切な人と思いながらも、
あなたの気持ちなんて、これっぽっちも考えてなかった。
あなたに心の内をさらけだすことで、どうにか心のバランスをとっていた。
もし、あなたがいなかったら、
私は今、存在してなかったかもしれない。
生きることに何の意味も見出せなかったかもしれない。
あなたがいてくれたから、いつもあなたがいてくれるって信じられたから、
ここまで生きてこられた。
あなたが、この前くれた言葉。
「今までも私にとって、大事な時に何かを気付かせてくれる
素敵な友人だったけれど、これからはきっと更に、だね」
すごく嬉しかった。 本当にこういう存在になれたらいいな。
今まで、ずっと、ありがとう。 これからも、ずっと、よろしくね。
2003/9/25
今までとは、心の中が、あまりにも違う状態で、戸惑いもあったのですが、
なんとなく、慣れてきたようです。
とにかく、色んな人に対する、色んなものに対する、感情が渦巻いていた。
それを避けようと押しやっても、やはり心のどこかには存在していた。
15年以上、ず〜っと、心の中にあったものが、無くなってしまったのだから、
違和感があって当然のような気がする。
激しいものこそが、こみあげてくるものこそが、感情というものだと思っていた。
「私の感情という感情が全て無くなってしまったのでは?」
どうやら、そういうことでもなさそうだ。
好きな音楽を聴けば、自然と指をならしている。楽しいことがあれば、笑っている。
今までと同じものを食べていても、美味しさの感じ方が少し違う。
心に余計なものがないからこそ、目の前の事象にシンプルに反応できる。
ここ数日の気温の変化だって、そう。
いつもなら、すぐ、風邪をひいて、鼻をぐしゅぐしゅさせていただろう。
それは、体が「寒い」と感じているのに、
「何で急に寒くなるの?」と、この変化を受け入れようとしないから。
例え、昨日までは、暑くてノースリーブを着ていたとしても、
今日は、体が「寒い」と感じるのなら、長袖のシャツを着ればいい。
「さすがに長袖は暑いかな?」と感じたなら、袖をまくればいい。
たった、それだけのこと。
胃腸は相変わらずだし、何かを考えて脳が動き出すから、睡眠時間も少ない。
でも、体は、ちっとも不快を訴えてこない。
一日中、ボーっと何かを考え、一日中、自分自身のことにかまけてるけど、
家の中が滅茶苦茶かといったら、そうでもない。
カーペットに髪の毛が落ちていた。他にも、ほこりが。
私は紙製粘着テープのコロコロをかけはじめた。
「何?朝っぱらから、唐突に」という夫のS氏の声で気付いた。
〜 私、今、掃除してるのか 〜
あまり、「掃除している」という意識が無い。自覚がない。
「髪の毛が落ちている」という事象を目から捉えた私の体が
自然とベストな方法を選択していたということだ。
今までも、少しでも、より良く生きようと、思っていた。
そのためには「こうすべきだ」「こうあるべきだ」と自分に色々課していた。
これらをクリアしていくことで、より良い方向に進もうとしてきた。
私がたった一人で生きるなら、この方法でもいいだろう。
しかし、人間、誰しも、たった一人で生きているわけではない。
自分に色々課すのは勝手だが、相手にも、それを求めてはいなかっただろうか?
だからこそ、思い通りにいかないと、一人やきもきしていたのではないだろうか?
「こうすべきだ」と自分に課して、行動するのではなく、
「こうしたいな」「こうだといいな」と思ったなら、そうすればいい。
感じるままに。思いのままに。
自分に課すことをやめれば、自然と、相手に課すこともやめられる。
2003/9/26
時折、夫のS氏の私の様子を伺うような視線にぶつかる。
私は、とにかく、自分が常にボーっとしているような感覚を抱いていたので、
そういう視線を感じると、
やっぱり私は無感動なのでは?とか、無表情なのでは?と心配になる。
「最近、私、変わった?」と尋ねてみたところ、
「うん。なんか、優しい感じ」との答え。
あぁ・・・。良かった。
私が無表情なのを心配して、見ていたわけではなかったんだ。
夫からしてみても、常に穏やかな状態の私に、慣れていなかったのだろう。
私は、今、自分にかまけて、気ままに生活しているけど、
自分の夫である人にそう評価してもらえるなら、いいじゃないか。
私は、彼に対して、「ああしてよ」「こうしてよ」と言わなくなった。求めなくなった。
もちろん「こうしたらいいんじゃない?」という意見は言いますが。
この言い方にも、トゲが無くなったのかな?勘にさわらないのでしょうね。
夫も素直に「そうだな」と聞き入れる。
最近、なんだか、色んなことがスムーズです。
でも。なかなかスムーズにいかないことも(笑)
こんな色んなことを考え出してから、すぐに、
お義母さんとの電話で、ものすごい言い合いをしたのですが、
言われたことを挙げたら、それこそ読んだ方でもショックを受けると思われます(笑)
電話の途中から、もう何が言いたいのかわからない状態になっていたので、
私は途中から黙りました。
何故って、これ以上何か言うと、とんでもないことを言い出しそうだったから(笑)
あんなに感情が昂ぶって、身震いしたのは、はじめてだったし、
黙ってからは、ハーハーと過呼吸気味になり、最後には吐き気がしました。
ここまで追い詰められたのが、逆に、私の考え方を改めるチャンスとなったのです。
落ち着いて考えて、裏の18日の日記を書いて、またそこで何かに気付いて、
表の19日の日記だったのです。その後も色々考えましてね。
連休中に夫と半日くらいかけて話をしました。
夫の両親に対する想い。「信用できない」「親を親と思えない」など。
確かに。彼の人生において、両親と一度も一緒に生活したことがないのだから、
そこから、色々な歪みは出てくるだろう。それは当然のこととして。
だからと言って、このままでは困る。
S家の家族全員が、何かにつけ、誰かのせいにして、
不平・不満ばかり言ってる状態に、私はもう耐えられない。
それこそ、「離婚」の二文字がちらつくほど、この前の電話はショックだった。
「あなたの言い分もわかるけど、
それはあなたの彼らに対する感情がそう思わせているところもあるんじゃない?
お父さん、お母さんは、きっとこういう想いだったと思うよ」
と、一つ一つ、今までの私が見聞きした出来事などを例に挙げて、
その言動の裏にある、彼らの想いを、私なりに想像して、話してみた。
ふと、夫の方を見ると、目にうっすらと涙を浮かべていた。
〜 彼だって、両親を責めたいわけじゃないんだ。愛されたかっただけなんだ。 〜
私は、夫の顔を見ないようにして、静かに話し続けた。
嫁と姑の仲も難しいが、
その間に立たされる、夫の立場というのもかなり辛いものがあると思う。
「私はあなたに『私をとるか、家族をとるか』なんて、言いたくない。
あなたをそんな立場に立たせたくない。
もし、私のためを思うなら、まず、あなたが、家族に対して、優しい気持ちを持って。
皆に強いるんじゃなくて、求めるんじゃなくて、
まず、私と、あなたから、不平・不満を言うのをやめようよ」
この日の夜。 夫は、しばらくの間、私を抱きしめて、黙って髪をなでていた。
夫と出会ってから9年経つが、こうされたのは、はじめてだった気がする。
夫のS氏の、両親、その他の家族に対する感情を拭い去るのは、
そう簡単には、そうスムーズにはいかなそうだ。
それもそのはず。
私は十数年だったけれど、夫は37年もそういう想いを抱えて生きてきたのだから。
でも、少しずつ、彼の心境も変わってきていると思う。
少しずつ、溶かしていければいいのだと思う。
2003/9/27
突然、来週の月曜から水曜まで、バイトに行くことになりました♪
今現在のこの滅茶苦茶すぎる生活時間帯を元に戻すことはできるのだろうか?
数字をてってってってっ入力するだけのお仕事なので、
多分、あれやこれやと考え事は続くと思うのだけど。
夫のS氏の試験もいよいよ日曜日と迫り、私までなんだかソワソワと落ち着かない。
それにしても、さっさと裏を書けよ!って感じですね。
というか、ここ読んでる人いるんかいな?という感じですわ(笑)
2003/9/28
どんな人間関係も一瞬で壊すことって出来るんだなぁ・・・と思う。
関係を持続させようという気力が無くなったら、もう、そこでお終い。
親子でも、夫婦でも、恋人でも、友人でも。
結婚という言葉からは、もれなく幸せという言葉が連想されがちだが、
結婚したからといって必ず幸せになれるのか?と言ったら、そうではないと思う。
私にとって夫のS氏は、本当にベストな相手なのか、
夫のS氏にとって私は、本当にベストな相手なのか、
そんなことはわからない。 多分、死ぬまでわからない。
家族であっても、同じだと思う。
どういう家族が、どういう状態が、ベストかなんて、わからない。
ただ一つだけわかっていることは、
【何の疑いも無く信じられる絶対的な関係なんて、どこにも無い】ということ。
だとしたら、人と人との関係を支えるものは、人の心でしかないような気がする。
支えることを持続し合えば、関係が保てるのは当たり前。
支えることを放棄し合えば、一瞬で壊れるのは当たり前。
どんな人間関係も、何かの縁で結び付けられている。
この縁に感謝できるか、嘆くしかできないのかも、人の心次第。
私はこのサイトをはじめてから、色んな方と知り合うことができた。
そのことによって、私自身の視野も広がったと思う。
そのことを、素直に、嬉しいな、喜ばしいな、楽しいな、と思う。
「ネット上の付き合いだからどうでもいいや」とは、私にはどうしても思えない。
ネット上だろうが、リアルだろうが、どこまでいっても私は、私。
どこまでいっても、心が通う人とは通うし、通わない人とは通わない。
全ては人の心次第。
その関係を永遠のものにするも、しないも、お互いの心次第。
今の私には、何がベストかなんて、わからないし、そんなことは、どうでもいい。
だけど、嘆くよりは、支えていきたい。
2003/9/30
朝、電車に乗って気付いたことには。
「私、ブラッシングってしてないじゃん・・・(汗」
私の髪は、元々ストレートで、放っておいてもOKの、手のかからない髪です。
よって、ブローもしません。(これは、単に面倒くさいからという理由なのだが)
それにしたって、髪の毛が絡まったりとかも無いとは言え、
朝、髪を梳かさないとは、女として、どうなんでしょう?
でも、明日も忘れて、手ぐしで済ますんだろうな・・・。
ちなみに、おでかけする時は、梳かします(笑)